世田谷区議会議員の福田たえ美です。
中川村人形浄瑠璃「里帰り公演」
令和6年6月8日
二子玉川小学校の体育館において、初・人形浄瑠璃の公演が行われました。
授業の一環として、5年生、6年生の児童の皆さんと地域の皆さんが一緒に鑑賞させて頂きました。
なぜ、二子玉川小学校で「中川村人形浄瑠璃の里帰り公演」が実施されたのか?
ここには、感動的な背景があります。
1945年、太平洋戦争中のことです。
二子玉川小学校(国民学校)の児童は、長野県中川村へ学童疎開をします。
当時、国の命令で親元を離れ世田谷区の小学校2〜6年の子どもたちの多くが長野県に疎開しました。
1944年から3回に分けて長野県に移動し、最後は当時の片桐村(現・中川村)と上片桐村(現・松川町)に全員が集まります。
まだ幼い子供たちが、家族と離れて疎開すると言うことは、どれだけ不安で、どれだけ悲しかったでしょう。
親子共々、どれだけ多くの涙を流したことでしょう。
食糧事情も厳しい中、体力的、精神的に極限状態の中、中川村の皆さんが疎開をして来た子どもたちを守り抜き、
誰一人欠ける事なく全員が無事に、二子玉川に終戦の年11月7日に、戻って来ることが出来たのです。
この感動を何かでお礼をしたいと考えた保護者代表から、片桐国民学校(現在の中川西小学)校長に7体の浄瑠璃人形の頭と衣装を寄贈しました。
1963年以降は、村が保管します。
半世紀途絶えた人形浄瑠璃が、2013年に、中川人形保存会の方々の手によって、復活公演を果たしました。
その際に「二子玉川からいただいた人形を使うのだから、二子玉川の皆様をご招待しよう」との提案から、交流が開始されます。
この交流が更に発展し、この度、二子玉川小学校の授業の一環で「中川村人形浄瑠璃の里帰り公演」の開催の運びとなりました。
里帰り公演の実現には、中川村の村長様、教育委員会の皆様、中川人形保存会の皆様、そして世田谷区の二子玉川小学校の校長先生はじめとした保護者の皆様、
郷土史会の皆様、町会、地域の皆様の団結が実現に繋がったと実感致します。
私も、郷土史会のメンバーとして、今回の開催への一助として動いて参りました。
この先も、長く交流が続くことを心より願います。
世田谷区のホームページ「まちの話題」に、二子玉川小学校での公演の様子が紹介されました。
詳細は、こちらをご覧ください。https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/kusei/005/010/006/d00210521.html
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
世田谷区議会議員 福田たえ美